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しゅう

2022 / 11 / 04

mob♀と結婚したluの子どもをshが少しだけ育てていた話。

luの子ども(♀)目線。

​何でも許せる方向け。

髪のながいおにいさん

 私には人生でお世話になった人が五人いる。いや、私の預かり知らぬところでだとか、友人や先生を含めると数え切れない数になるのだろうが、今回は私の成長において直接関わっていたであろう五人、その中でもある人についての話だ。まず先に残りの四人について話をすると、私を産んでくれた両親と、小学三年生から私を引き取って大学まで通わせてくれた親戚のおじさんとおばさんだ。私の両親は私が四歳のときに交通事故で亡くなった。母はどうやらそのとき同乗していた私を抱えて守ってくれたそうなのだが、事故の影響なのかそのときに関する一切の記憶が私には無い。気が付いたときには病院のベッドの上で、その次には大勢の人が泣いている真っ黒い会場にいた。白い花に包まれながら真ん中で幸せそうに笑う私と同じきんいろの髪をした父と優しそうな母の顔を覚えている。父と母の記憶は人並みだ。齢五歳までの皆が持っているであろう記憶の保持量と同じ。小さなプールに入って遊んだことだとか、一緒にお風呂に入っただとか、ご飯を食べさせてもらっただとか、それくらいの微かな記憶。私は多分、よくげらげらと笑う父の笑い声と顔が大好きだったような気がする。もう二十余年も生きているからその記憶すらももう曖昧だ。

 前置きが長くなって仕舞ったが、ようは私を産み、育ててくれたこの四人には感謝しかない。今の私があるのはこの四人のおかげであるし、おじさんとおばさんは本当の両親のように今も大好きで慕っている。だからこそ、残りの一人の存在が異質な存在として位置している。きっと気が付いている人も多いだろうが、私の両親が亡くなったのは私が五歳の時、そこから親戚の家に引き取られたのが小学三年生、つまり九歳のときである。その空白の四年弱、私を育ててくれた人がいたということであり、その預かってくれていた人こそ、今回の話の重要人物である。

 名前はヤミノシュウさん。当時はしゅう、と呼んでいた気がする。今思えば失礼極まりないが、私がしゅう、と呼ぶ度に彼は嬉しそうにしていたからきっと大丈夫だったんだと思う。そして私は父の笑顔と同じくらい、彼の優しい笑みが大好きだった。

シュウさんは父の知り合いだったらしい。これから彼についてはすべてらしい、としか言えないのは彼のことについては父以外、知っている人がいなかったからだ。父の仕事仲間若しくは級友、そこら辺のどれかだとは思うが今更詮索するのもプライバシーというものがあるし彼には元々私を育てる前の人生があったのだ。それが何故四年もの間、父と同じ年齢の彼が三十から三十四の、働き盛りの期間に私を育ててくれたのかはわからない。

 第一印象は怖い、だった。人見知りが激しい私は初め、家に突然現れた謎の男の人が怖くて堪らなかった。当然だ、父も母もいない、ひとりぼっちの家に知らないおじさんが現れたのだから。随分泣きじゃくったように思う。でも、彼は私が落ち着くまでずっと側に居て私が話を聞けるようになるまで待っていてくれた。そうして泣き疲れた私が眠った後もきちんと暖かいベッドに寝かせてくれた。

『僕の名前はやみのしゅう。君のお父さん、ルカの知り合いでしばらく君を預かることになったんだ』

『…しゅう…?』

『ッ、…そう、しゅうって呼んで』

『うん』

 しゅうはいつも優しかった。だから私はしゅうが来てから数ヶ月後にはそれはもう、でろでろに甘えていた。自分でも分かり易いほどにチョロかったのだ。好奇心が旺盛だった私はよくしゅうの家の庭にある大きな木に登って下りられなくなったり、物置の中で遊んでいて外側から鍵を掛けたまま中に入って出られなくなったり、そんな女の子にしては些か元気すぎていた。だから、そのたびに私はしゅうの名を呼び、たすけてと半べそになりながら叫んでいたのだが、そんなときは決まってやれやれと呆れた顔をしながら、それでも必ず助けに来てくれていた。もうしちゃだめだよ、その言葉を私は何度裏切っただろう。

 なんでそんな髪型なの、と聞いたのは私が六歳の頃だ。前髪の部分に特徴的な跳ねを持った、父と私とも違う黄色の髪の毛、両耳の部分には濃いピンク、毛先にかけて紫色に染められたその不思議な髪を触りながら私はそう聞いた。しゅうの髪は細くて、柔らかくて、何度か三つ編みをさせてもらった。私に背を向けながら、しゅうは言った。

『前髪はバナナだよ、本当の』

『え!?』

慌ててぐい、としゅうの正面に回り込んだ私の顔を見てしゅうがふは、と吹き出す。

『冗談だよ』

『もう!しゅう!』

『んはは』

 今思えばしゅうに助けを求めるのと同じくらい、しゅうに悪戯をされていた気がする。どれもこのくらいの軽いものだったけれど、信じやすい単細胞だった私をよくからかってはけらけらと笑っていた。髪の毛にはたくさんのリボンやカラフルなゴムを付けて、しゅうが謝っても当分許してやらなかった。変な髪型を更に変にして、相変わらずしゅうは笑っていた。

 君はお父さんによく似ているよ。しゅうによく言われていた言葉だ。何回も言ってくるしゅうに、『なんかいもきいたよ!』なんて怒ったけれど、しゅうは笑ってごめんと言うだけだった。それに、怒っていたのは何回も同じ事を言うしゅうに対してではない。そう私に言葉を掛けるしゅうの顔が、いつもとは少し違う、「男」の人に見えていたからだ。それ以外でしゅうのその顔を見たことはない。父の話をするときだけ時折その顔をするしゅうに、当時の私は自分の中で昇華できない気持ちを吐き出すために怒っていたのだと思う。そして、それが今ならわかるかと言われれば少しだけ自信が無い。まだ、当時のしゅうの年齢にもなっていない私だから恐らく違うかもしれないけれど、あれは親愛とも違う、特別な感情を持っていたのではないかと思うのだ。

 父としゅうが昔どんな関係だったかはわからない。けれど、私の父は母を選び、そうして私が産まれた。そして、父と母は交通事故で亡くなり、ひとりぼっちになった私をしゅうが拾って育ててくれた。僅かな期間だったけれど、父をなぞるように私を愛してくれていたしゅうの、あの眼差しを忘れることはない。あれが私を通して父に向けられていたとしても、もう十何年も前のことで、私が触れるべきものではない。それでも、時折こうして彼のことを思い出してしまうのは、父と私が似ているからだろうか。いや、恐らく私はいちばん始めの、自我の芽生えるような時期をしゅうに育てられたのだから少なからずしゅうに似てしまったのだろう。だから嫌でもわかってしまのだ。自分の中には父としゅうの両方を持っているだろうと思うから。純粋で鈍感で、しゅうからの友情以上の感情を友情までに引き留めた父と、そんな父に自分から何をするでもなくただずっと、彼の友人であり続け、それでいて彼を構成するものに嫌でも手を伸ばしてしまうしゅう。父は何度しゅうの名前を呼んで、助けを求めたのだろうか。その度にしゅうは何度笑って手を差し伸ばしたのだろう。正解なんてものはない、それでも、しゅうが私の呼ぶ声に目を妙ながら微笑み掛けてくれたのだから、きっとそれで良かったのだろう。

 シュウさんが今何処に居て何をしているのか、そもそも生きているのかさえ私は知らない。けれど、特段知りたいとも思わない。ただどうか、しゅうの中にある父への愛慕を大切に抱え込んで、生きていて欲しい。少なくとも父と同様に貴方に愛されていた私は間違いなく幸福だったと、今はそう思うから。

父と母の墓の前で手を併せる。しゅうの決して高くない、穏やかな温度が空気を撫でた気がした。

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