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骨の砂を歩く

2022 / 08 / 24

たとえ世界でふたりぼっちになってしまっても、

​このふたりならきっと大丈夫。

​希望は貴方だ。

 この砂漠は全て人の骨でできている。踏みしめた足の裏にぱきぱきと、乾いたカルシウムの感触がしていた。辺りを見渡すと、三百六十度全てに地平線が見えて、己を遮るような建物も、自然も何処にも見当たらなかった。身体をじりじりと焦がす太陽のような炎の塊が頭の上にいつまでも居座っていて、恨めしそうに空を仰ぐと顎の先からぽたりと一滴の汗が垂れて地面に落ちた。襟足のよく伸びた髪は自分のチャームポイントだった。だからそれらを切るときには酷く反対された。前髪の金色だけじゃ駄目なのかって言ったけれど、それとこれは違うじゃんなんて返されて、でも、その反対を押し切ってざくり、と碌に研がれてもいない破片で切り落とすと、あからさまに悲しそうな顔をされたので罪悪感を掻き消すために毛先の揃っていない余った髪を無理矢理結んでやった。けれど、そんな髪の毛も元の長さに到達しそうなほどに伸びていて、こんなことならあんな顔をされて自分が抱いた罪悪感なんて気にしなければ良かった。ああもう、早く着いてくれよ。僕は遍く空を飛ぶ鳥になりたい。

 この世界はある日を境に人骨の溢れる世界になった。朝、目が覚めたら世界は終わりを迎えていて、急いで隣でいびきをかいていた彼を起こして一緒に街を出た。荷物はもしものためにと準備しておいた非常用のリュックが二つ。動きやすい格好にスニーカー、キャップを被って部屋を飛び出した。周囲に生き残っていそうな人は見当たらなかった。自分たちの家だけが残っていて、それ以外はもう全て、跡形もなく消え去っていた。なんで、だとかそんなことを考えている暇もなくて、とにかく情報が得られそうな場所まで歩いて行くことにした。それに、考えても無駄なのだ。ある日世界は突然終わって、自分たちだけが取り残された。それ以上も、以下もない。一文だけで澄まされるその状況は、しかし自分たちには重くのし掛かってきた。当然だ。こんな状況、易々と受け入れて堪るものか。しかし、受け入れるしかなかった。世界からは見事に自分たち以外の人が消えてしまったのだから。
 歩き始めて暫く、地面を覆う真っ白なものが人の骨であることに気が付いた。かさついた、脆いそれは地面を覆うようにして無数に世界に広がっていた。
「これ、人の骨だよね」
「わ、本当だ」
 建物が消え、人の骨だけがこうして残っていることも、自分たちには分らなかった。
「シュウ、大丈夫?疲れてない?」
「疲れたよ」
「あはは、そうだよね」
 そう言いながらルカはシュウに水を差し出した。人骨に覆われた景色が広がる中で、ぽつりぽつりとそうでない景色もあった。シュウたちと同じように一軒だけ家が残っている場所もあれば、小さく植物が生えているような場所もあった。世界中を探せば、何処かに自分たちが定住できるくらい自然や人工物が遺った場所があるかもしれないし、自分達と同じ生き残りに出会えるかもしれない。そのために自分たちは今、歩いている。
 どさりと座り込んだそこは、少しの草と朽ちた木の幹が横たわる場所だった。そこに申し訳程度の雨除けを張り、二人で座り込む。十分とは言えないけれど、生きていくのに最低限必要な水は確保できていた。ルカに連れられて毎日走っていて良かったと思った。あんなに朝起きるのが億劫だったのに、今そのおかげで体力がついて歩けているのだから。
「今日はやけに機嫌が悪かったじゃないか」
 ルカが悪戯するときみたいに笑って言う。腹が空いていたのか?そう言って差し出されたぼそぼそのパンを齧った。
「髪の毛が」
「うん?」
「髪の毛が、折角切ったのに元通りになっちゃったなあって、思ってたんだ」
 シュウがそう言うと、一呼吸置いた後で、ぶは、とルカの吹き出す声が聞こえた。パンの欠片が飛ぶじゃないか、汚いな。顔を顰めるシュウを気にも留めずルカはあはは!と大きな声で笑っている。静かな夜闇にルカの笑い声が滲んで吸い込まれていった。
「そんなことで怒ってたの。あはは、お腹痛い」
「うるさいな、君が悲しそうな顔したからだろ」
「俺そんな顔したっけ」
「したよ!覚えてないの?そのときの罪悪感が無駄だったなって、今確信したよ」
 むう、と頬を膨らますシュウにルカは更に笑ってごめんと、まるで反省してない声色で言った。
「ごめんって。愛しているよ、シュウ」
 そう言ったくせに、ふは!とまた笑い出したルカが気に食わなくて、それに身体はもう疲労でくたくただったから、シュウはもう寝る!と叫ぶとルカに背を向けて寝転がった。ルカは未だに小さく笑っている。このお調子者め。ルカの笑い声が落ち着いて、静寂が辺りに漂い始めた頃、ぽつりとシュウが呟いた。
「……明日も無事辿り着けるかな」
「俺たちなら大丈夫だよ」
「それならいいんだけどね」
 意識が深く沈み込んでいく感触がする。ルカが背後に横たわる気配がして、一ミリも動かせない身体を無理矢理動かして彼の方を向いた。
「ルカ、愛しているよ」
 何処にも行かないで。そう言った言葉はちゃんと大気中に吐き出されていただろうか。
 そう言って、すう、と眠りに就いたシュウの寝顔を見つめながら、その髪の毛を耳に掛けてやる。世界が終わる前は自分の方が先に寝ていたから、あまり彼の眠りに就く様子を見たことは無かったけれど、世界が終わってからは圧倒的に自分の方がシュウのそれを見ることが多くなった。そしてやっとわかった。シュウが前に君の寝顔を見て眠りに就くのが幸せだと言った意味が。そのときはうまくわからなかったけれど、今ならわかる。ちゃんと、君の息を確かめて、その大切な身体を抱き締めて眠ることがどれほど幸福なことだったのかって。
「どこにもいかないよ。俺はずっとシュウの側にいるよ」
 ちう、と小さくキスを落としてルカはその寂しそうな身体を抱き締めて瞼を閉じた。

世界は突然に終わりを迎えた。自分たちのこの旅はいつ終わるのか、そもそも終わりなどあるのか。二十余年を生きてきて、それなりに知ったような気になっていた世界は、終わりを迎えた途端、わからない事だらけだった。自分がいかに脆弱でちっぽけな存在なのだろうと知った。けれど、それでも僕たちは息をしている。生きている。ならば、その命の鼓動が止まるまで、もう少しこの終わった世界の中で生きてみようと思った。君が隣に居るならきっと、何処へだって行ける気がするから。


「シュウ!緑が見えるよ!」
今日も骨の砂を踏みしめて僕らは歩く。

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