oyama no souko.
文月の秘密
2022 / 09 / 29
word palette July
文月の秘密「微笑み」「枯渇」「心中」
学パロ。mob♀視点。
わたしは、なにを、
私は数分前の私の行動を酷く後悔した。駆け出した廊下の先で、あの花園で独を受けた私を蝕むように熱い血がドクドクと波打っていた。
私には片思いの人がいる。同じクラスの闇ノシュウという人物だ。成績優秀で、先生からの人望も厚い。それでいて時に悪戯っ子のように笑う姿が印象的な好青年であった。私が彼を好きになったのは、必然と言えば必然で、しかし偶然起こった事象によるものだった。どこが好きかなんて、上手く言葉にできないけれどきっと今言ったことで事足りる筈だ。未だうら若き高校生の、恋に落ちる理由というものは、人を好きでいることの理由とは酷く単純なものであるのだから。そうして彼を好きになった私は、当然のことながら日々彼を視界の端に入れては見つめる日々を送っている。
彼とどうこうなりたいかと言われれば、それはわからない。何せ、自分にとってこの気持ちを恋として昇華させたことなど、この十数年の人生の中で初めてのことだったのだ。動機もままならなければ願望すらも朧気なこの感情は果たして恋なのかと問われれば、しかしそれは確かに恋なのである。そうでなければ、彼のことを目で追ったり、その傍らにいつもいる金糸の彼のことも疎ましく思ったりなどしないのだから。独占欲の芽生えには鈍感なくせに、闇ノシュウという男についての探究心は一人前に枯渇している己の醜ささえ、この感情のせいにしてしまえば不可抗力に違いなかった。
今日も例外なく、彼を目で追いかけていた日の放課後のことであった。委員会で遅くなった帰り、図書委員の自分が最後に図書室のカウンターを後にして教室へと戻るその道中のこと。彼を好きになったのは彼が図書館の常連さんだからというのも少なからずあった。その年齢にしては少し珍しいジャンルの本を借りているのが気になって、話したことがある。黒魔術だとか呪術だとか、そういった類いの古書を手にしてカウンターに来た彼に、珍しい本だねなんて、まだ恋慕に目覚める前の己はそう口にしていた。そう言って見上げた先、んへへ、と少し照れ臭そうに興味があるんだと言って笑った彼の顔が脳裏に鮮明に焼付いて瞼の裏を焦がしている。今思えば、まるで天使のような彼の表情を見たあの瞬間から私は恋に落ちていたのかもしれない。
日が長くなっているとはいえ、もうそろそろ日も暮れようかというような時刻。校舎にはほとんど人は残っておらず、グラウンドから微かに聞こえる部活動の音を聞きながら静かな校舎内を歩くこの時間が大好きだった。しかし、今日は違っていた。数十歩先の空き教室、その扉が微かに開いていて、そこから微かに声が聞こえたような気がしたのだ。幽霊、という悪寒が一瞬走ったが、生憎自分はそう言った類いのものは信じていないので、すぐさま選択肢から除外した。では、誰かがその教室内にいるということだろうか。何事も無かったように通り過ぎれば良かったのだろうが、この好奇心に勝てる人がいたら教えて欲しい。だって、誰も居ない校舎の、その空き教室から己の好きな人の声が聞こえてきたのだ。
「―――、んへへ」
「っあ、」
しかし、それと同時に聞こえてきたのはもう一人の声だった。何かを堪えるような、息を吐き出すような、一見苦しそうにも聞こえるその声に私は益々興味を駆り立てられて、気が付けばその少しだけ空いた隙間から中を覗いていた。
「ッ、」
ひ、と喉の奥で息の詰まる音がする。馬鹿な自分。しかし、目の前の光景に私は目が離せないでいた。
物陰越しのソファの上。一人の男の上に向かい合うようにして座っているもう一人の男。廊下側を向いた男の名は闇ノシュウ。その彼に向かい合って座っている金糸の彼、それはいつも彼の隣で笑っているルカカネシロという男であった。どうやら服が乱れており学校指定の白い開襟シャツが背中の辺りにまでずり下がっていて彼の逞しい上背が露わになっている。
私はルカカネシロという男が苦手であった。騒がしい声と悪戯好きな彼の性格が、物静かな自分とは正反対で、物陰から眩しい日差しに目が眩むような、そんな感覚に陥ってしまうようで怖かった。だから自分には、そんな私と同じようなタイプであると思っていた闇ノシュウとルカカネシロの仲が良いというのは些か疑問に思うところがあり、時折彼の袖を引っ張って君はこちら側でしょう、と言い出してしまいたくなる時が多々あった。しかし、二人はいつも隣同士で、それでいてそれが当たり前のように日常に馴染んでいるのだから、私は段々それが少しだけ不気味に思うようになっていた。これが嫉妬なのだと、経験の無い私はそれがそう名のつくものであると決め込み、ただ彼らの仲が良いのが気に食わないのは自分が闇ノシュウという男のことが好きなのだからだと思っていた。
そんな一抹の違和感は嫌味なほどに的中していて、己が言い聞かせていた浅はかな感情は全くの見当違いだと、今目の前の光景を見て確信に変わった。
「っ、シュウ、」
ルカカネシロの快活で大きな声はなりを潜め、切なげに発されたその声はまるで淑女のようにウブで、純度を保ったものであった。露わになった背中、紅く紅潮したそれが酷く艶めかしい。
「ルカ、……かわいい」
そんな声で彼の名を呼ぶな、もう一人の私が頭の中でガンガンと警鐘を鳴らしている。これ以上見るなと言っているのに、足が鉛のように重くなってその場から動き出すことが出来なくなっていた。瞬きさえ出来なくなった眼が二人を黙って見つめている。二人の姿は下の方は見えなかったが、見えなくて良かったと思った。何も知らない私でも、二人が何をしているのかなんて、嫌と言うほどわかってしまったのだから。余りにも非日常的で背徳的、扇情的な光景に呆然と立ち尽くしていると、此方側を向いた彼の鋭い瞳が此方を向き己のそれとばちり、と噛み合った。
それまで彼の、少年のようなあどけない優しい微笑みが記憶の中を埋め尽くしていたというのに、それら全てが吹き飛んでそれに支配されてしまった。ふ、と口角の上がった薄い唇、薄く細められた眦から覗く深紫色の瞳は夕日に反射して猫のように光っていた。余裕そうな表情は紛うことなき妙なるもので、天使のようにみえていたものはなんと悪魔だったのだ。抱えるようにして背中に回されたその爪は長く、淑女の背中に傷を付け流れた血で契約を交わすような、そんな悪魔の気配がして私は怖くなって気が付いたら教室まで戻ってきていた。どうやら走っていたらしく、息は切れ額には無数の雫が伝っていた。この汗はきっと、運動のせいだけではない。
まるで悪魔と人間が心中しているようだった。あの微細で妖艶な、おぞましい笑みを私は他に知らない。それから闇ノシュウが図書室に来ることはついぞ無かった。