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愛を聴く

2023 / 02 / 28

shがluの髪の毛を切る話。

思わず叫びたくなるのだ、と君は云う。

 いつも見上げている顔を、そのときは見下ろしていた。形の良いつむじが一つ、頭の上の、真ん中にあって思わず押してしまいたくなる。じっと見つめていると、シュウ?と声が掛かったので、ツボ押しは諦めて大人しく首元にタオルを巻いてやることにした。

 

 おれの髪の毛、切ってくれない?そう言って良く切れそうな鋭い鋏を此方へ差し出して、ルカは言った。その鋏はどこから持ってきたの、なんて問えば前の家のおばさんが貸してくれた、と呑気に宣う。人見知りのくせに、なんでそんなことはできるんだ。と突っ込みたくなったけれど、それよりまず、聞かねばならぬことが僕には一つだけあった。

「なんで僕が切るの」

 いつも二駅隣の、決まったお店で切ってもらっていたじゃないか。そう尋ねるとルカは、それがさ、なんて切なそうな声を出して事情を話し始めた。

 

 いつものように最寄りから二つ隣の駅で降りて歩くこと十分。見慣れた町並みを眺めながら涼しい風を受けてゆく。シュウと同居を始めてから一ヶ月が経った。シュウの存在によって変わったのは家での生活だとかふたりですることだとか、そういうことだけで他の自分に関わることは殆ど変わらない。住処も元々自分の住んでいた場所とそう変わらないし、配信業だって相変わらずポグなことをすること以外、特に変わっていない。だから、この日の散髪も今までとなにも変わらない、お気に入りの店でやってもらうはずだった。

 しかし、到着したルカを待っていたのは、音を無くした寂しい店構えだけだった。

「そこのオーナーがもう歳で店を畳むとかなんとかでさ。お店をわざわざ継いでもらうこともないからってこの前店仕舞いしちゃったらしいんだ」

 店の前に行ったらもう既に張り紙がしてあって、シャッターも閉まっていて。事情は近所の人から聞いたんだ。だから、俺は悲しくて近くのお花屋さんで花束を一つ買って店の前に置いてきたよ。そんなわけで、新たにお店探すのも面倒だし、とりあえずシュウに切って貰おうと思って。

 ルカはそう言ってずい、と再び鋏を差し出してきた。確かにお店が無くなってしまったのは悲しいし、わざわざ花束を買ってお店の前に置いてきた君のことはとても好ましいと想うけれど。けれどそれほどお店に拘るなら、尚更僕じゃない方が良いんじゃないだろうか。そう思い、提案してみても、ルカは「そんなポグな髪型してるんだから大丈夫だよ」とよくわからない褒め言葉を寄越してきて、結局その鋏を断れないまま、今に至る。本当は、もっと他に僕が鋏を握りたくない理由があるのだけれど。

「首元苦しくない?」

「大丈夫だよ」

 どうせそのままシャワーに行くからと言われ、それに従うようにシュウはルカの首元にタオルだけを掛けた。足下にはチラシを何枚か敷いて、その上に椅子を一つ。椅子にルカを座らせて、右手に鋏を握った。

 改めて見るルカの髪。さらさらと、決して細くはないそれは、照明に反射してきらきらと光っている。艶やかな毛束をさらりと手に取って覚悟を決めると、恐る恐る刃を入れた。鋭利な刃物は少しの力を入れただけで切れてゆく。自分の指も切ってしまわないように、そしてルカが変な髪型になってしまわないように神経を研ぎ澄ませていた。じわりと手汗が滲んだ。リビングには、しゃきしゃきと、小気味良い控えめな音が響いていた。ある程度切り落としてからどれくらいにする、と聞くと、ルカにシュウの好きなくらい、と返されたので、なんだそれと思って耳の裏を擽ってやった。

「ひゃ、しゅう!」

「ルカが真面目に答えないからでしょ」

 動かないで、ずれる、と言って髪の毛を小さい力で引っ張ってやると、シュウからやってきたんじゃん、とルカが頬を膨らませて言った。

「好きなひとの好きな髪型にするのって、よくあることでしょ」

 その言葉に、一瞬、鋏を落としそうになった。ちょうど髪の毛に触れていなくて良かった。焦ったこの感情のまま触れていたら思わずざっくりといってしまうところだったから。

「シュウ?」

「君はさ、恥ずかしいとか、ないの」

 言われたとおりじっと動かないまま、ルカが名前を呼ぶ。ルカが言いつけを守る良い子で良かった。僕の熱を持った顔は今、ルカに見られたくない。誤魔化すように、少しだけ呆れた声を出して言った。

 

 ルカが最近、事あるごとに自分に好きだと言ってくるようになった。好きだ、というか明確に僕を好きだということを知らせてくる、みたいな。そういうことをしてくることが増えた。いつからかと問われれば、それは一ヶ月と三日前から。なんでそんな正確な日付を覚えているかというと、シュウとルカが同居を始めた日だからである。

 

 二ヶ月と十五日前。その日もルカと通話を繋げながらお互い配信準備だの、他の仕事だのをしていたときだった。どうにもルカの様子がおかしい。大抵夜は眠くなるからと、朝に作業をしていたルカはいつもランニング帰りの元気な姿で、そんなルカの声を聞きながらする深夜の作業は良く捗った。そのルカの様子がなんだか少し暗い。心配で体調悪いの、と問い掛けてみるも、ううん、とイエスともノーともとれない様子の言葉が返ってくる。けれど、今日の通話はルカからの誘いによるものだった。ふたりは付き合っている。それはもう、何ヶ月も前から。けれど、お互いに何か深いところまで踏み込むのは程ほどにしておこうと、話して決めてはいないけれど、ふたり暗黙の了解みたいになっていた。だから、ルカが何かを思い悩んでいるとしても、彼から話してくれるまでは待っても良いかなというのがシュウの考えである。流石にいきなり別れ話をされたらびっくりしちゃうけれど。とまあ、そんな呑気なことを考えていると、唐突にルカはシュウ、と名を呼んだ。

「最近さ、シュウと話していると悲しくなるんだ」

「えっ」

 途端に先程までの呑気な頭が何処かへ飛んでいく。花畑から一気に地獄まで落とされた気分になって、思考がぐるぐると高速回転し始めた。何か悪いことでもしてしまっただろうか。もしかして、今まで居心地の良さを感じていたのは自分だけで、実はルカは自分に言えない秘密を抱えていたりだとか。どうして今まで気が付かなかったのだろう。自分は誰よりもルカのことを見ていた筈なのに。それはただの思い込みで、現実はもっと盲目だったのだろうか。

 少し前にルカと直接会って、その手に触れた。付き合うよりも会うのが後って、なんだか不思議な感覚だったけれど、画面越しのルカも生身のルカも全然変わらなくて、僕が存外お喋りなことにルカは少しだけ驚いていた。あまり見ることのない雪に触れて、同じ季節と時間を共有していることに嬉しくなって年甲斐もなく楽しんでしまったのはまだ記憶に新しい。夜に皆におやすみを告げてからこっそり片方の部屋に忍び込んで体温を分け合ったことも、全てまだ鮮明に思い出せるほど尊くて大切な経験だった。でもそれは全て、僕の独り善がりだったのだろうか。帰国した後のルカの配信でだって、彼はなにも変わらなくて、そんな姿を僕は何度も見ていたのに。どうして、

「しゅう?」

「あっ、なに」

 呼びかけられて、はっと我に返る。ルカの声には先程のシュウと同じ心配が乗せられていた。

「もしかしてシュウ、自分のせいだとか考えていたりする?」

「えっ、いや、あー、うん」

 一瞬否定したけれど余りにも図星過ぎたから、結局観念して正直に吐き出した。隠したところで解決するわけでもないのだから。そんなシュウの言葉を聞くと、ルカは音割れがするほどの大きい声で、「そんなことないよ」と叫んだ。

「違うんだよ、シュウ。あ、あのね」

「うん」

 なにが来ても受け止められるように、つとめて優しい声で返答した。けれど、そんな心配は杞憂だったのだと知ることになる。慌てながら、それでも言葉を間違えないように、大事なことを取りこぼさないようにルカは紡いだ。

「おれね、この前日本でシュウと会って、それでこっちに帰ってきて。それからなんだか変なんだ。朝起きるとすぐにシュウと話したくなって、それで話してるときは楽しいんだけれど、段々心が寂しくなってきて。配信中はそれどころじゃないからまだ気が紛れるんだけれど、そうじゃなくなったらまたシュウの声を聞いていたくて、シュウにまた会いたくなってしまうんだよ」

 だから、シュウがずっと俺の側に居たら良いなって、思うんだ。

 それを聞いて、僕が荷物をまとめ始めたのが二ヶ月と十五日前というわけである。

 

 良い子ではなくなったルカが頭を回転させてシュウの方を振り返る。すっかり軽くなった金糸の髪が揺れることはない。

「正直恥ずかしいよ。イタいなとも思うよ。でも、シュウには言いたいって思うんだ」

 俺たちの気持ちに、好きがそぐわないなんて思わないよ。

 鋏の音が止む。よく見えるようになった瞳の奥で煌めいた光彩が明るく笑った。

「……しゅう?」

 自身の首に回った腕に優しく触れて、ルカはシュウの名を呼んだ。その声には嬉しさが滲んでいる。ルカを抱き締めていた。その身体によく映えたタトゥーごと、僕はルカを抱き締めていた。触れたところから拍動を感じて、そのままふたりとも同じリズムで刻んでいくようだった。

「僕はあまりこういうのは得意じゃない」

「うん、知っているよ」

「でも、」

「うん」

「ちゃんときみを想っているから」

 シュウが俺を好きなこと、俺はちゃんと知っているよ。

 キスをしてよ、シュウ。その言葉に応えるように優しく唇を触れ合わせた。ふたりとも少し湿っていた。啄む程度のものを何度か繰り返す。下唇を柔く食むと、ルカがふ、と息を漏らした。うなじ辺りをなぞって、真新しい感触を手に馴染ませる。ん、と身体を震わせてルカがシュウの袖を引いた。

「一緒に、お風呂、はいろう?」

 すっかり身まで軽くなった彼の誘いに手を引かれるようにして、シャワールームへと向かう。

 

 いつか僕も、ルカに髪を切ってもらおうか。呪術ではない、生身の感触をもって身体の一部を切り落としてもらうのだ。僕にとってそれがどれほどの価値を持つのかなんて、ルカは知る由もないだろう。呪術は本人の身体の一部、ほんの髪の毛一本分さえあれば容易に叶ってしまう。だから、僕は自分で髪の毛を切るし、身の回りのものを、ましてや自分自身を誰かに委ねることはない。それはマフィアのボスであるルカだってわかっている筈だろうに。鋏を握るのを躊躇ったのは、僕が唱えるとき、君の一部から呪ってしまうかもしれないと思ったからだ。でも、それでも僕が良いよと君は言うのだろう。なら僕も、君に身を預けてみても良いのかもしれない。言葉にすることはあまりできないけれど、それでも僕は君をどうしようもなく、好いている。

 

 君の髪の毛の一本でさえ愛おしいよ、なんて。

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