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真夏の怠惰

2022 / 07 / 11

相手が死んだら生きていけない攻めと、

​相手が死んでも生きていける受けが好きです。

​どうして見せてくれたの。

 秋の海は意外と暖かい、というのをシュウは最近知った。理由は単純で、秋に海に訪れたからだ。海上は地表より温まりにくく冷めにくい。だから、夏の暑さですっかり温まりきってしまった海の温度は、地表でのそれより少し高くて、風の強さに反して存外寒くなどなかった。
 ざくざくと砂の地を大胆に進む大きな背中をシュウは見ていた。風で飛ばされては嫌だからと車に置き去りにした帽子のない頭には強い風が吹き付け、その砂金のような髪をぱらぱらと散らしていた。波が押し寄せてくるのにも構わず突き進み、脛が完全に浸るような場所まで進んだルカがくるりと此方を振り返った。
「コイツはここが良いんだってさ」
 そう言って小瓶を翳した。人差し指と親指で掴んだ程度の大きさしかないその中には砂のように細かいものが半分ほど入っている。シュウはそれが何かを知っていた。人の骨だ。恐らくルカがボスを務めるマフィアのメンバーの一人。つい最近、抗争に巻き込まれて命を落としたと聞いた。その後に海に来ないかと誘われて今に至る。部下を弔うとき、ルカはいつも一人で来るのだと言っていた。それなのに何故、今回シュウを誘ったのか、シュウにはわからなかった。何も返さないシュウを意に介すこともなく、ルカは言葉を続ける。否、始めからシュウの返事など求めていなかったのかもしれない。
「こいつらは毎回、自分が死んだ後のことを俺に頼んでくるんだ。別に俺からそうしろと言ったわけじゃないのに。でも、俺たちは死に方すら自分で決められない人種だから、せめて死んだ後のことは誰かに託したいんだろうな。ほんとに、手の掛かる奴らだよ」
 そう言葉を紡ぐルカの顔は穏やかだった。小瓶の蓋を開けて、中に入った細かいそれらを瓶から溢した。さらりと一瞬にして無くなったそれは、海に触れたのかもわからないほどすぐに、風に乗って彼方へと散っていった。ルカのズボンの裾の染みがじわじわと広がっていく光景だけがやけに目について、このまま深い闇の奥に引き摺り込まれていきそうに思えたシュウは足を一歩踏みだした。しかし、そんなシュウを遮るようにルカがシュウを見つめた。真っ直ぐで、優しい瞳だった。
「俺が死んだらさ、シュウはどうしたい?」
 ルカの部下のようにこうしてくれというものではなく、シュウはどうしたい、という単純なそれ。
「え?」
「シュウはさ、俺の死体をどうしてくれる」
 まるで凪いだ海のように静かな声でルカはシュウにそう問い掛けた。それは普段のルカからは想像がつかないほど落ち着いていて、たまに見せる、自分にしか見せない姿だった。
「ルカはどうしてほしいの」
「そうだな、そういえば考えたこともなかった」
 自分の死後を決める前にシュウにそれを尋ねてくるなんて、どうかしている。君は、僕が君の死体をこうしたいと言ったらそうさせてくれるのか。僕は呪術師だぞ、その死体を使って人体実験に使うかもしれないし、その身体を操って悪事を働くかもしれないだろう。僕たちは元々利害関係で繋がった身なはずだ。そんなに易々と自身の身体を明け渡すようなことを言って良いのか、全く、一世を風靡したマフィアのボスも随分と落ちぶれたものだ。
「シュウになら何されても良いよ」
「……君は僕を買い被りすぎだ」
 足下が濡れるのなんて気にもせずにざぶざぶと海に入ってルカの元まで来ると、自分より大きなその背中に無理矢理手を回してきつく抱き締めた。大人しくされるがままになったルカの手がシュウの背中に回されて、その肩口に頭の乗る感触がした。
「僕は君が死んでも何もしない」
「シュウは優しいな」
「だって君は僕の後に死ぬんだ」
 シュウがそう言うと、驚いた顔をしてルカが顔を上げた。ぽかん。少しの沈黙の後で、ふは、とルカが吹き出した。
「はは、最高だ、シュウ!最高に邪悪で意地悪な呪術師だ」
 再びがばりと抱き着いた拍子にざぱりと水飛沫が上がる。バランスを崩しそうになるのをなんとか堪えて、シュウもルカを抱き締め返して笑った。
 お互いいつ命を落とすかわからない。今こうしている間も崖の上にスナイパーがいて自分たちを狙っているかもしれないし、明日ルカの部下が裏切って命を落としてしまうかもしれない。けれど、何をしたってシュウはルカより先に死ぬのだ。そういう呪いを今、ルカに掛けた。東の国ではそれを言霊という。物理的な力など何も必要ない。けれど、何よりも強大で、人の心を縛り続ける酷く凶悪な呪いだ。そうとわかっていながら相手にその呪いを掛けるシュウも、それを掛けられて嬉しそうに笑うルカも、二人とも何処か歪で、幸福だった。
 死ぬならルカよりも先が良いと思った。多分、彼が死んだら自分も直ぐに死んでしまうと思ったから。ルカはシュウが死んでも後を追うことはしないしきっとその後も逞しく生きていくだろう。でも、そんな自信はシュウ自身持ち合わせている気がしなかった。元々利害関係で始まったのに、と言うくせしてそんな心積もりが出来ていないのは自分の方だ。そしてそのことをルカも知っている。知っていたからきっと、あんな問いかけを自分にして、あんな答えが返ってきたことに驚いて喜んだのだろう。全く、どこまでも子供のような彼が憎くて、愛おしくて堪らない。
 深淵がこちらを手招きしているのを無視して二人で鼻水が垂れるまでそうして抱き合っていた。生温い風が二人を嘲笑うように、鋭い音を立てて通り過ぎていった。秋の暮れの話だ。

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