oyama no souko.
鬱金香の咲く頃に
2022 / 07 / 28
🌷
なんでいなくなるんだよ。
だいすきだ、シュウのことがだいすきだ。俺をこんなふうにしたのになんでお前からいなくなっちゃうんだよ。
もうずっと、同じ夢を見ている。シュウが居た頃の温かくて幸せな夢。温かくて幸せだったのは特別何かをしていたわけじゃなくて、ただ隣にシュウがいたことでそうだっただけで。朝、未だ瞼を閉じたままのシュウのほっぺに態とらしく強めに唇を落として、俺はランニングに行く。一汗かいて家に戻ると、まだ寝ぼけ眼でベッドの上に座っていたり、はたまた朝食を作っていたりするシュウがいて、そんなシュウの姿を見て俺はまた幸せな気持ちになる。コンビニに行こうとしたらシュウが僕も行くって言ってお揃いの靴を履いて出掛けることも、雨の日にずぶ濡れで帰ってきた彼に珍しいねって頭をタオルでわしゃわしゃすると照れたように傘を忘れちゃって、と笑うその顔も、全部が俺の心を温かくさせる。好きだ、と切なそうな声色で俺に伝えてきてからもう暫く、俺はシュウに惚れている。
その日もルカはシュウを探していた。季節は春から夏へと移り変わろうとしていて、彼が消えた頃に咲いていた桜はもうとっくに青々しく緑色の葉をその木につけていた。あの日も綺麗な青空の広がる気持ちの良い日だった。前の夜は珍しくシュウから誘われて、それはそれは甘く丁寧に抱かれたのを覚えている。なんで一ヶ月も前のことを覚えているかって?それが最後だったからだよ。その日はどれだけ体力馬鹿な俺でも動けなくてでもそれは決して辛いわけでは無くてむしろ幸せで、そんな微睡みに浸っている俺を無慈悲にも放り出してその温度は消え失せてしまったのだ。夜は未だ肌寒いけれど、日中は動いていたら汗が滲む程の良い陽気で、居なくなったのもこんな日だったな、と満点の太陽を睨み付けた。
「はぁ、もう、何処に居るんだよ」
今日はすっかり街の外れに来ていた。シュウがこの街から出ていないのは勘だったけれど、ルカは確信していた。シュウは必ずこの街の何処かに居る。けれど、流石に一ヶ月探しても居ないのであればそろそろ別の街や、はたまた海外へと飛んで探さなければならなくなるだろう。それでも良いのだ。シュウを見つけるまで自分は追いかけてやるとあの居なくなった朝に決めた。幸いにも二人で貯めていた貯金はそれなりにあったので、十年くらい旅して回ることくらいはできるだろう。それに、自分はサバイバル力には自信がある。何日か宿が無くたって生きていけるし言葉が通じなくたって何とかやっていけそうだと思っている。あれ、話が逸れてしまったな。ともかく、世界中の何処に居ようが見つけるまで諦めないってことだ。でも、今回は心が折れる一回目。この街の何処にもシュウが見当たらない。今日シュウが見つからなかったら別の街に移ろうと決めていた。それくらい、くまなく探したのだ。これから先、どこの地域に行ってもその度に心が折れるのかと思うと辛くて投げ出したくもなるがそれ以上にシュウに会えないことが何よりも辛いのだ。何度も言わせるな。俺はもうとっくのとっくに、シュウを心底愛している。
すっかり日も暮れ空は暗闇に包まれていた。一日中動き回った四肢はもう既に限界を迎えていて、道の脇で思わず立ち止まっていた。口から漏れ出た言葉には相手への明確な怒りが込められていて呆れて笑ってしまった。膝に手を付き深く深呼吸して空を見上げると綺麗な星空が広がっていた。この街は日暮れと共にぽつぽつと明かりが灯る。それは人工的なネオンを放つものではなく、明かりと呼ぶに相応しい暖かな光だ。あまり高層の建物も少なく、かといって都市から大きく離れた場所でもないこの街を二人で選んだのは、もう暫く前に、それこそまだ二人が付き合い始める前に二人で訪れた場所だったからだ。あらゆる過程を経て交際を始め、それからだいぶお金も貯まった頃に二人で好きな場所で一緒に暮らそうと決めた。せーので出された都市名はお揃いで、思わず笑ってしまったのをよく覚えている。それからこの街に越してきて数年。慣れないことにも慣れてきて、それなりに上手くやってきたと思う。お前が居る場所が帰る場所だから。そう言って誓い合った日をシュウは忘れてしまったのだろうか、だとしたらちょっと悲しい。いや、かなり悲しいしなんなら腹が立つ。ああもう!そう言って嘆いた視線の先に、ぽつりと明かりの消えそうなお店を見つけた。花を売っているところだ。店舗は違えど、この街の花屋にはシュウとも記念日の時には何度かお世話になっている。疲れ切った足で、気付けばふらふらとそのお店の方へと足を踏み出していた。店にはまだ誰か居るみたいで、髪の長い、前髪に特徴的な黄色が入った人影が一人、そこに居た。
「は?!」
開け放たれたドアの向こう。その人影がゆっくりと此方を向く。その人影である闇ノシュウは呆然と立つルカを見るなり驚いたように、
「ぁ、」
と小さく鳴いた。ルカは思わず駆け出していた。脚の痛みなどその時の感情に比べたら些細なものだった。
ばきり。静かな街に一つの殴打音が響いた。店には黄色いチューリップが花瓶に飾られていた。
「えっと、大丈夫?」
自分がそうした張本人であるのに、心配そうな声で椅子に座り頬を冷やすシュウを覗き込んできたルカにシュウは笑う。大丈夫だと、それからばつの悪そうな顔をした。
「、シュウ」
「いいよ、僕からちゃんと話さなきゃね。ルカも座って」
そう言って丸椅子をルカに差し出す。その古びた椅子に座ってシュウの方を向くと、シュウは穏やかな顔をして此方を見ていた。しかし、その目は決意に染まっていて、その深い瞳に惹き込まれそうになった。
「花屋を開きたいんだ」
「……花屋」
シュウの口から放たれたその言葉をゆっくり咀嚼していく。
「うん、実は昔からなりたくて、でも僕はこの通り呪術師だからなりたいとは思っていてもなれるなんて到底思ってもいなかったんだ」
自嘲気味に笑うシュウの顔がルカは少しだけ苦手だった。お前にさせたいのはそんな顔じゃないのにって、無能な自分が悔しくなるから。でも、そうして自分を嘲笑った後のシュウの顔はルカの好きな照れたような微笑みで。
「でも、前にルカはが僕に言ってくれたこと覚えてる?」
「な、俺なんか言ったっけ…」
「んへへ、やっぱり覚えてなかった」
「馬鹿にしてる?」
むっと頬を膨らますと、シュウの目の皺が深くなった。目尻の皺が愛しく思えたのは最近のことだ。
「ふふ、してないよ。ともかく、僕は君の言葉のおかげでこの仕事がしたいって決めることが出来たんだ」
「じゃあ俺にも言ってくれれば応援したのに!」
「うん、ルカならそう言ってくれると思ってた。でも、それじゃだめだったから連絡しないようにしてたんだ。無視してごめん」
そう言って頭を下げるシュウの手を思わず握った。そんなことはないと頭でわかっていても、聞かずにはいられなかった。
「おれじゃシュウの力になれないの」
その手を強く握り返される。頭を勢いよく上げたシュウの熱い視線とぶつかった。
「違うよ、逆だ。君がいるとどうしても僕は甘えてしまう。僕自身がだめになってしまうんだ」
そうしてまた自嘲気味に笑った。けれどその顔は慈愛に満ちていて、シュウは己よりも沢山の複雑な感情をその表情に乗せることが出来るのだと、その話を聞きながらルカはぼんやりとそう思った。
「実は今日で修行は終わりなんだ。だから今日は、やっとルカに連絡できるけど怒られるなあって思ってたところだったんだ。まさか本人が登場して殴られるとは思わなかったけどね」
「俺は謝らないからな」
「んへへ、わかってるよ。僕が悪いんだ。寂しがりやのルカを一ヶ月も放置してたからね」
「俺のことじゃなくてシュウが生きてるか心配だったんだよ。本当になんで無視なんかするんだ」
「心配させてごめんね。もう夜も遅いし明日発つ準備もあるから此処に泊まるんだけど、ルカも泊まらない?」
そう言ってシュウがルカの頬に手を添える。愛おしい体温は熱くて蕩けてしまいそうだった。
「本当は?」
素直にうんと頷くのも癪で思わず意地悪な返しをしていまったけれど、シュウはそんなルカを見て笑った。これはいつもルカを甘やかす時の顔だった。
「僕が帰したくないだけ。んへへバレちゃった」
「俺も限界だよ」
その夜は訳もわからずに抱き合った。触れ合う温度は期間で言ってもたった一ヶ月なのに、ひどく長い時間が流れていたように感じた。
「るか、るか」
「っ、しゅう」
何度も何度も名前を呼び合って、そうして一つになって夜の闇に深く溶け込んでいった。
朝の眩しい日差しが窓から差し込み狭い一人分のベッドを照らす。狭い部屋の隅に置かれた、碌に足も伸ばせないような小さいベッドで二人は抱き合って眠っていた。健やかに、静かに、寄り添った肌が小さく震えて目を覚ます。朝、隣に愛しい人の安らかな顔があること、それだけで愛おしさが込み上げるこの感情を愛と呼ぶのだと知った。街の外れに小さな花屋がもうすぐ開店するらしい。
「ちなみに俺は賛成だよ」
「えっ」
「チューリップを一つくれよ。どびっきり綺麗なやつね」
「……もちろん、何度だって君にあげるよ」
.
朝、君の顔を見たら決意が揺らいでしまいそうで、だから君が起きる前に僕は此処を去ったんだ。どれくらい経てば君を抱きしめられるかわからなかったからあの日の夜はもう思い残すことなんてないくらい、君を優しく、酷く抱いたんだ。すっかり夢の中に落ちていった君の頬に一つキスを落とした時、やっぱり少しだけ寂しくなってキスなんてするんじゃなかったって思った。
修行は前からお世話になっていた花屋の店主の娘さんが営むお店。最速で君に会いに行きたくて連絡はしないようにした。きっと君と話したら会いたくなって決意が揺らいでしまうから。君は応援してくれるんだろうけど、それじゃやっぱり格好がつかないから毎日ひっきりなしに知らせてくるスマホの電源は切ってしまった。終わったらその分、直接君に伝えるから。
ルカが以前僕に言った。何気ない一言だったけれど、それだけで僕は花屋を開こうという夢を叶えたいと強く思ったんだ。二人で何気なくテレビドラマを見ていた。それは主人公の女の子が交通事故で亡くなってしまった両親の代わりに、高校生ながらも花屋を切り盛りしていくというもの。作中にはお客さんが運んでくる様々な問題を花の力で解決するという少しミステリー要素のある面白いものだった。それを見ていて僕は思わず、
「花屋になりたいなあ」
と言葉を溢してしまっていた。しまったと思った。不可能な夢を呟いたって、何も変わらない、不毛なだけなのに。
「なんて、」
「良いじゃん、俺、シュウのお花屋さん行ってみたいよ」
画面を見つめながらなんてことのないようにルカは言った。やりたいならやればいいじゃん、と言いたげな至極当たり前なような発言に僕は思わず目を瞠ってしまった。そんなふうに言ってのける君のことが何より眩しかった。
「何が力になるかなんてわからないわね」
店主の娘はそう言って笑っていた。彼女も継ぐ予定はなかったそうで、でも愛する人の笑う顔が見たくてこの仕事をしていると言っていた。人生の決め方なんてきっと、そんなもので良いのだろう。
殴られる前に見えたルカの泣きそうな顔を今でも覚えている。きっと一生忘れることはないだろう。自分を愛する人がいて、自分が愛したい人がいて、この花はそんな二人を祝福するための花であるのだと、普段は恥ずかしいような叙情詩を空に唱えてみる。鬱金香の花が咲く時、愛する人々の顔は晴れやかな笑顔へと変わってゆくのだ。