oyama no souko.
かみさまの還る場所
2023 / 06 / 02
貴方が生きる意味だと、
決して少なくはない人数の、生きる意味を背負っている俺がたったひとりの人間だけを生き甲斐にしているといったらお前らは笑うだろうか。
遠くでバタンバタンと、決して小さくはないのに極力音量を抑えたような音がして、シュウは自身の意識が浮上してくるのを感じた。とはいえ未だ脳みその方は動いておらずぼんやりとした意識のまま物音の行く末を辿っている。すると、自分の眠っている部屋の扉が開く。カチャリとこれまた丁寧な音がして、その音に馴染みを覚える頃、どさりとベッドの上、隣が深く沈んだ。どうやら彼が帰ってきたようである。その拍子で脳まで覚醒し始めたシュウはゆっくりと目を開け、まだ日の昇らぬ薄ぼんやりとした空間で三度目を瞬きした。いちばん始めに目に飛び込んできたのは黒々とした血の色だった。ルカの髪にべとりと付いたそれはもうほとんど乾いていて暫く前に付いたものだと察する。そうして、此方側を向き背中を丸めるようにして寝息を立てた彼の腹部に目を遣ると、何重にも巻かれた包帯の下にも真赤が滲んでいた。恐らく彼の、決して浅くはない傷。気怠い腕を上げ寝息に包まれた髪を梳き閉じられた瞼に手を這わすと、少しだけルカの顔が緩んだ。酷い負傷をしていても、この男は今、健やかに眠っている。
ルカが傷をこさえて帰ってくるのは今に始まったことではない。本来、そういうところに身を置いている人間なのだからそれが当たり前なのだろうし生きているだけ丸儲けなのだろう。だから、そんなルカとシュウでは生きている世界が少し違った。生身、殴り合い、銃弾。人間であるが故に生々しい感触と共に皮膚を通して生きているルカ。片や言葉を操り、自然を操り、生命の理から少し外れた独自の輪廻の中で生きているシュウ。たまたま少しだけ重なった部分で僕らは出逢い、恋をした。だから、大抵のことは重なっていない。生きるべき場所も、呼吸をする箇所でさえ、きっと異なっているふたりは、それでもこうして今一緒に居る。ルカが帰ってくるのは大抵朝方である。恐らく全て片が付くのがその時間帯なのだろう。詳しいことはあまり知らない。知りすぎると、彼の生を祈ってしまうような気がするからだ。先にも言ったとおり、シュウとルカは異なる輪還の中を生きている。だからもし、仮にシュウがルカの輪還の中に干渉するようなことがあれば何が起きるかわからない。呪術師にとって祈ることは命を売りに飛ばすようなものだ。だからルカが生きて帰るたびに少しだけ安堵して、それでもその帰りを待つことはしないのである。
でも、それでも。治癒能力のある呪術を唱えルカの身体を淡い光で包み込む。道端に落とされた傷だらけの生き物たちを癒やすように。無償の愛ならば祈りではない。ただ生命を尊ぶまがい物からの贈り物である。屁理屈かもしれないけれど、べつにいいのだ。それで。今日、この瞬間、生きているということが嬉しいだけなのだから。
ゆっくりと意識が浮上していく。きっと真上にあるはずの太陽の存在は遮光カーテンのおかげできっちりと隠されていて、気遣って開けないでくれていたのだと知る。ふあ、と間抜けな欠伸をしようとしたところで腹部がつきりと痛む。そういえば昨夜一発弾丸を食らったのだった。その後に自身の一発を脳天にブチ込んでやったから良かったもののかすり傷程度でさえこの損傷なのだから最近の銃ってのは怖いものだ。けれど、昨夜ベッドに潜り込んだときに感じていた痛みよりも明らかに軽くなったその感触に、また寝ている間に何かされたのだと知って嬉しくなった。きっとあまり赦されたことではないのだろうとは思うのだがこの少しだけ腹の中が温かくなるような感覚に幸せを感じて、どうか見逃してくれと神様に祈る。誰かの死に立ち会うとき、度々神様と呼ばれることがある。もうすっかり焦点の定まっていない者達が俺を指差し、「かみさま」と嘆いて死んでゆく。この金色の髪が彼らを照らしているのかは知らない。下らないことで死ぬような人間を導くつもりは毛頭ないしそれ以上に成すべきことが此処にはある。けれど、マフィアの構成員から向けられる視線が、街を歩いていて天に祈りを捧げる人々のそれと同じだと気が付いたとき、少しだけ悪くないと思ってしまった。そして、それと同時にそんな高尚なものになったとしても己が還りたいと思う場所は只一つであることに気が付いて自嘲気味に月を笑い飛ばしたのである。
「おはよう、ルカ」
包帯を取り替えリビングへ向かうと、コーヒーを啜りながら画面を眺めていたシュウが振り返った。まだ後ろ姿のとき、少しだけ炎が出ていたからきっと深く考え事をしていたのだろうけれど、物音に気が付くとそれはスッとなりを潜めた。あの炎を見ると安心する。原始的な、赤いそれではなく妖艶でおぞましいこの世のものではないその炎がすきだ。無言でシュウの元へと歩み寄り、覆い被さるようにして抱き着いた。背中に回した腕からシュウの低めの体温を感じ取って気持ちよさに意識を沈めた。
「猫みたいだね」
「ねむねむにゃんこ」
「どこで覚えてきたの、それ」
何度でも還りたい場所がある。何度でも部下の還る場所になって遣りたいと思う。
素肌で感じる愛しいこの体温は、確かな魂の重さを持った人間のものだった。