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レンズ越しのいつか

2022 / 12 / 19

同棲shuca

​眼鏡とその先の未来を描く話。

​ずっと一緒にいるって決めた

 少しだけ先の未来はよく考える。例えば一週間後の外出だとか、来月の旅行だとか、でも、その先を深く考えたことはない。それは余りにも不透明で不鮮明で、実感というものを伴っていない。少しでも長く君の隣に居たいと思っているのも、未だ見えぬ終わりを想像しているのでもなく、ただぼんやりと十年、二十年後のことが自分には何もわからない、それだけのことだった。

「シュウ目悪いの?」

 夕飯の支度を済ませシュウの部屋の扉を叩く。はーいと間延びした声と共にドアを開けると、ブルーライトの光る自作パソコンの画面に向き合いながらシュウは作業をしていた。その姿は今までとは別段変わったところはない、ただひとつを除いて。シュウのその大きな目を囲うようにして黒縁の眼鏡が掛けられていること以外は。ルカの問い掛けにシュウは顔を上げた。そういえばルカの前でこれをつけたことは無かったね。そう言って眼鏡を外す。

「パソコン作業が多くなって目が疲れるようになっちゃって。だから少しでも疲れないようにブルーライトカットの眼鏡を買ったんだ」

 つい先週ね。目の前まできたルカにほら、と言ってシュウが眼鏡のレンズを見せる。それは微かに黄みが掛かっていて、もう少し濃ければサングラスになりそうだなとルカは思った。

「ねえシュウ、もう一回掛けてよ、それ」

 いつもは見ないシュウの姿が新鮮で思わず頼んでしまった。己はサングラスをよく掛けるがシュウはそういった類いのものを身につけることはほとんどない。便利のためならばあるのかもしれないが、少なくともお洒落だとかそういった名目で身につけることもほとんどない。シュウの左手薬指にはシルバーの指輪がひとつだけ光っている。シュウの装飾品はたったそれだけだ。でも他のどんな装飾品よりも輝いていることをルカは知っている。ルカの左手薬指も同じように光っているからだ。

 なんでよ、と笑いながらシュウは一度外したそれを再び掛け直した。瞬きする度にばさりばさりと音が鳴りそうな睫毛に今にも触れそうなレンズが照明できらりと光っている。その薄いレンズ越しに、ルカは遠くの未来を見た。

 ずっと先の未来まで見えることなんて、今ままでなかったのに。目の前のことに全力で走ってきたこの人生は、悔いもあるけれどそれ以上に楽しかったことの方が大きい。それはシュウに出逢ってより一層増した。けれど、それでも自分の中にある「未来」という二文字はずっとぼやけたままで、それこそ目の悪くなった視界みたいにぼんやりとしていて焦点が合わなかった。けれどそれでいいと思っていた。ピントの合わない世界では信号機は花火のように見える。信号機だけじゃない、世界に溢れる光の一つ一つが花火のように輝いて綺麗な景色を見せてくれる。だからピントが合っていないというのは必ずしも悪いことだけでは無くて、良いこともあるのだと知っていた。

 そんな視界が晴れるように、何十年後の未来、ふたりがしわしわになってそれでも笑っているのがなんとなく視えた気がしたのだ。

「シュウ、おじいちゃんみたい」

「ちょっと!」

「アハハ」

 眦に幾つもの皺と幸福を携えて、陽の当たる窓際でのんびりと過ごすふたり。そこにあるのは今までの量りきれない幸せを交換し合ったものたちの夢だった。

「ねえシュウ、」

「なにさ」

 尖った口先に軽くキスを落とす。そんなに拗ねないで、俺が言いたかったのはそういうことじゃなくてさ。

「おじいちゃんになったシュウでも愛せるよ、俺」

 今なんとなく、俺たちがふたりでおじいちゃんになってもこうして過ごしているのがみえた気がしたんだ。

 ぽかんと口を開けるシュウの目から眼鏡を奪い取って自身に掛ける。度の入っていない眼鏡はルカにも掛けやすくて、どう?なんてふざけてシュウに問い掛けた。シュウがルカの顔を見つめる。シュウの瞳孔を見つめ返すと、きっとシュウもルカを通してずっと遠く先の未来を見ているのだろうとわかった。その瞳の奥がきらりと光ったからだ。

シュウはどこまで先の未来まで見ていてくれたんだろう。少なくとも俺よりは先だったと思うけれど、それは結婚するまででそれ以降のことは俺とトントンだったんじゃないかって思うよ。だってシュウの顔が固まっているもの。俺たちは結婚してしまったから、この後のことはゆっくり考えようねって思っていたんだよね。もう離れる選択肢は取らないって決めてしまったから。だから油断してたんだと思う、何十年も先、ふたりがおじいちゃんになるまでなんて考えたこともなかっただろ?俺もだったよ。でも残念、俺の方が先に気が付いてしまったから俺の勝ち。しわくちゃになっても些細なことで笑うシュウを、俺は愛せると思ったよ。

「僕も、おじいちゃんになったルカを愛せる」

 戻ってきたシュウがルカの手を取る。これくらいの差だったら一緒にゴールくらいしても良いよ。俺はゴールテープ前で待っていたから。指の先から大好きな温もりを交わし合って、ルカが眼鏡を外すと唇にも伝わるように二人でキスをした。夕飯が冷めてしまわないように、早くキッチンへ行こう。繋いだまま、ルカはシュウの手を引いた。

 

 見えなかったはずの未来は、前も見えぬほど暗く鈍かったのではない。眩しすぎるほどに煌めいていたのだ。

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